独学ライフ

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独学ライフとは何者か?①「14歳の決意」

投稿日:2020年1月12日 更新日:

25年前の5日後、5時46分。

目が覚めた頃はまだ真っ暗だった。
でも、明らかに異変に気づいた。
家が全壊していた。
めちゃくちゃになった家屋から脱出し、外へ出てみた。
明らかに景色が違う。
電気が届かない、ガスも届かない。
とりあえず避難所へ行った。
ようやく避難所の電気がつながりTVを見た。
街が一変していることに気づいた。
ようやく認識した。
何が起こったのかを。

そして、この日から全てが変わった。

 

うちは自営業だった。
オヤジの事務所も崩壊、仕事もなくなった。
家も財産も仕事場もなくなった。

週1回の隣町の銭湯へ行くのが楽しみだった。
お風呂は週1回だ。
寒い中、週1回温かい湯船に浸かれる至福のひととき。

現場に幼い兄弟を連れて暮らすには限界があった。
家族はしばらく離散した。

長男の僕は現場に残った。
日課は、毎日、自衛隊から支給される水くみだ。
タンクをコロコロと転がし、水をもらいに行く。
そして1人2個のおにぎりを受取り、ほおばる。

 

学校に始めて行ったのは、事が起きた日から何週間後だろう?
あの日以降、はじめての登校日。
しかし何かが違った。
何もなかったように制服で来ている友達。
制服が無くなり、ボロボロのセーターとズボンの自分。
壊れない家に住んでいた人、壊れる家に住んでいた人。
制服を新たに買えない自分。
これまで何も考えず無心に生きていた中学生生活。
はじめて、所得格差を知った。
両親は間もなく共にアルバイトを始めた。
それはこの先、オヤジが癌で他界するまで続くアルバイト生活だった。

そして間もなく僕もアルバイトを始めた。

 

学校では通常授業が再開した。
何もなかったように通学する生徒、そうでない生徒。
そして相変わらずボロボロのトレーナーで通学する自分。

ちょうどこのころは反抗期だった。
親にあたった。
「なんでこんなにうちは貧乏やねん!なんで自営業なんかやっていて、今はオヤジもおかんもアルバイト生活やってんや!」

このやりきれない思いをオヤジにあたりにあたった。
もうやけくそだ。全てやけくそだ。

それでも、どんなときも、そんな自分にオヤジは怒りはしなかった。
何もわかっていないクソガキに激怒し、蹴り飛ばしたい思いが喉元まであっただろう。

オヤジ「すまんな・・・」と。

それにまた腹が立った。
何が「すまんな・・」やねん!

オヤジは死ぬほど不本意だったに違いない。
自分のやりたい自営業を始めて、軌道に乗った矢先の倒産。
それでも家族を支えるために、必死に他界するまで続けた警備員のアルバイト。
母だって、子供3人養うため、家事に加え、3つのパート掛け持ち。
瀕死の自転車操業だ。

 

やっぱり金がいる。
1995年。当時、中学生なりに何の取り柄もない自分が最も金を稼ぐ方法を模索した。
家なし、金なし、コネなし、遺伝子は凡人中の凡人。

たどり着いた答えは「勉強すること」
金を稼ぐには、大きな会社に行けばたくさんもらえる。
大きな会社へ行く確率を上げるには、有名な大学へ行く。
有名な大学に行くには、勉強して合格する。

勉強することは誰にでも平等だ。
貧乏でも勉強できる。

これだと思った。
部活もろくにできる状態でない。体育館は遺体安置所だし、運動場は仮設校舎の建設中だ。
瓦礫処理も目途が立ち、仮設の住まいに住むようになった。
ようやく落ち着いて勉強できる環境までたどり着いた。

誰よりも勉強し、鬼のように勉強してやる。
そして這い上がってやる。

夜空を見上げた。
星がくっきり見える鮮やな空だった。
もちろん、これは震災で家々が崩壊し、電気をつけている建物が少なくなったからだ。

瓦礫の積み残しの上から輝く星空を見上げ、
僕はこぶしを強く握りしめた。

14歳の決意。

【NEXT】14歳時の決意から怒涛の人生が始まる。

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